沖縄が抱える課題を共有 「恒久平和の実現」へ取り組み強化
■琉球政府から『沖縄県』へ
沖縄は、日本復帰に伴い、アメリカ施政権下の「琉球政府」から「沖縄県」へと行政府も変わり、あわせて法定通貨もドルから円へと切り替えられた。
また、復帰と同時に『憲法手帳』が発行された。『憲法手帳』は、戦争体験の教訓と「平和憲法」の順守を目的に、沖縄県憲法普及協議会から発行され、現在でも発行部数約3万部を数えるロングセラーとなっている。
また、沖縄では、1945年の米軍による占領以降、アメリカと同様に、車は「右側走行」となっていたが、1978年7月30日、自動車の対面交通が「左側走行」へ切り替えられた。切り替え日をなぞらえて「ナナサンマル」キャンペーンを展開。「車は左、人は右」を合言葉に、全国からの応援部隊を含む4200人の警察官を動員して切り替えられた。
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交通法変更を見守る市民たち(泊交差点) 〈写真①〉 |
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■多発する事件・事故県民への負担
日本復帰後も基地はあり続けた。日本国土のわずか0.6%の沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.3%が集中して存在している(2020年3月31日現在)。
このため、米軍人・軍属等による犯罪や事件・事故が絶えず発生。復帰から2018年までの46年間で6029件(うち、殺人や強盗・性的暴行等の凶悪犯も580件)もの刑法犯罪が発生している。
また、基地に起因する航空機関連事故も多発。復帰から2018年までで811件にも及ぶ。そして、基地から飛び立つ戦闘機のすさまじい爆音など、県民生活への影響は大きい。
1973年からは、県民の生活道路である県道104号線を越えて実弾砲撃訓練が行なわれた。この訓練は、県民による反対運動等で本土5ヵ所の演習場へ移転されたが、それまでの24年間に撃ち込まれた砲弾の数は約4万4000発にも及ぶなど、県民生活は危険にさらされた。
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嘉数高台から普天間基地を望む | |||
■不平等な『日米地位協定』
復帰後、米軍人犯罪には『日米安保条約』『日米地位協定』が適用され、米軍人といえども日本の法廷で裁けるようにはなった。しかし、日本側は起訴するまで身柄拘束ができない。起訴も、2009年に法務省が公開した資料によると、米軍人等が公務外で起こした犯罪(刑法犯)の不起訴率が2001年から2008年の平均で83%にも上り、起訴率は毎年わずか十数%にとどまるなど、米軍犯罪が特別扱いされている実態が明らかになっている。
また、『日米地位協定』で合意した飛行制限や基地の使用条件等も守られていない実態や、米軍機の墜落事故等の際も、米軍が現場を封鎖し、事故機を搬出するまで日本の警察・行政等は立ち入ることができない等、『日米地位協定』には課題が多く、抜本的な見直しが求められている。
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沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故跡地 | |||
■沖縄の課題は日本全体の課題
5月15日、沖縄の日本復帰から50年の節目を迎えるが、長い年月が経った現在でも沖縄県内に全国の米軍専用施設が集中し、さらには辺野古に新基地の建設が進められている。また、米軍機等による事故や騒音、米軍人による犯罪や事件・事故、そして、『日米地位協定』の課題など、沖縄には戦争に起因する多くの課題が残されたままだ。
これらの課題は、沖縄県だけでなく日本全体の課題であると捉え、沖縄の実相を認識するとともに、国民一人ひとりが世論を喚起する必要がある。
西本部は、現地・沖縄の仲間と連帯し、沖縄に基地が集中するがゆえの事件や事故、『日米地位協定』の課題等を広く共有することで、恒久平和の実現に向けた取り組みを全国の仲間と一体となって継続・強化していく。
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嘉手納基地を飛び立つオスプレイ | |||
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辺野古新基地建設現場には鉄条網が築かれ警備員が立つ | |||
【写真提供】
〈写真①〉=那覇市歴史博物館 |